皆様こんにちは、マッキーです。
今回は第4回東北被災地語り部フォーラム第一弾。
気仙沼版語り部バス(特別便)を紹介いたします。
朝出発したこちらの語り部バスは…
まずは気仙沼内湾地区を車窓に見ながら
気仙沼市観光協会橋本様による語り部が始まります。
この辺りの地区は当初宮城県より、防波堤を建設する予定でしたが、
住民との粘り強い話し合いにより、海とともにいきる道を選びました。
その為「迎(むかえる)」をはじめとした商業施設や、
フラップゲート方式による可動防波堤に、
その他は無堤防または特殊堤で景観を損ねない造りでございます。
(気になる方はぜひ現地に足を運びご覧くださいませ)
そして、唐桑鹿折駅でバスを降り、
実際にBRTの駅を見ながら、
一ノ関→気仙沼→大船渡と繋がる大船渡線、
これまでの経緯と現在、
打ち上げられた大型漁船「第18共徳丸」のお話、
そして老若男女450人の被災状況がTwitter等を通して東京都の当時の猪瀬知事に伝わり、
多くの命が救われた中央公民館の話等をいただきました。
その後は、バスに乗ってリアスアーク美術館へ
道中は災害復興住宅について、
仙台〜八戸まで延びました三陸自動車道について、
そして気仙沼と大島を結ぶ気仙沼大橋についてお話していただきました。
リアスアーク美術館に到着後、館長の山内様より
常設展「東日本大震災の記録と津波の災害史」について説明がありました。
こちらに展示している写真は
実際に現地で撮影したものであり、
その時の状況や想いを自身の言葉と共に展示しており、
実は写真よりも文章が重要だったりしますとの事。
また震災後、一度は耳にした「瓦礫」という言葉、
しかしその一つ一つには所有者の想いがあり、
「被災物」と表現するべきだと言う話をいただきました。
(「被災物」とは山内様が作った造語であり、
実際に一部の伝承施設でも使われています)
展示スペースの一角には東日本大震災だけではなく、
チリ地震大津波の展示やそれ以前に発生した津波について絵で紹介されました。
その他にも歴史・民俗資料もあり、
気仙沼の昔と被災当時の様子を知りたい際は欠かせないスポットでございます。
そして最後の目的地「命のらせん階段」へ
東日本大震災当時約30名の命が救われたこの場所は、
実は大川さくら総合公園の建設等もあり、
弘前城の曳家工事と同じ業者に依頼して移動しました。
そして弘前城よりも命のらせん階段(旧阿部家住宅)の方が
重量は大きかった事と、
左側の瓦屋根の瓦が一枚たりとも震災で落ちなかった事には驚きました。
今後、命のらせん階段はお隣のサッカー・ラグビー場や野球場の利用客からも、
ご覧いただけるより多くの人に認知される事でしょう。
(ちなみにもう一つのコースは「命のらせん階段」と…
「気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館」の2箇所を巡るコースでございました。)
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