マリンパルだより  3月その3

いらっしゃいませ(#^.^#)マリンパル保育士小野寺です。寒暖差が激しい毎日ですが、ポカポカ陽気でお庭のお花達も咲き始め、つぼみもどんどん膨らんできましたよ♪

春ねぇ~♡と油断していたら、こんな天気に!

まだまだ気が抜けませんね!タイヤ交換ももう少し先になりそうです!

さて・・・!今週のマリンパルはこんな話題でお伝えします(^^♪

今月卒園を控え、園生活も残り少なくなってきました。どんな遊びをしたいか子ども達にリクエストを聞いてみました!Мちゃんは「お水で遊びたいの♪」とリクエストします(^^♪早速お外に出てお水を用意!・・・お水では冷たすぎるのでお湯をつかいました!

「た~のしぃ~♡」と、嬉しさいっぱいのМちゃん♪

心行くまで、水こね((笑))を満喫しました(^-^)楽しめて良かったね♪

続いてはこちら♪熊本県天草市の金子さまより、こんなに大きな晩白柚(ばんぺいゆ)を送って頂きました♪ザボンの一種でとっても大きなミカンです!

子ども達のお顔よりも大きいですね!

持てるかな!「よいしょっと!」持ち上げてみます(^^♪大きいね!

どんな味がするのかな?早速切ってみようか!

切ったおしりの部分は、帽子みたい(笑)かぶって見たよ(*^。^*)

わくわく♪

みんなで分けっこして食べてみようか!「パクリ」

つぶつぶがしっかりしていて、甘酸っぱくてとっても美味しいね♡

あまりの大きさにびっくりして、手が止まってしまった子どもたちでしたが、一口食べてみて美味しくてどんどん食べてくれました!

皮や白いワタの部分も砂糖漬けにして利用できるのだとか・・・!万能なフルーツですね!普段はなかなか口にすることの出来ない晩白柚ですが、貴重な食の体験をさせていただきました!金子さま、ありがとうございました!

子ども達の美味しい顔が見れて、幸せな給食タイムでした!

 

女性のお客様へ…ホワイトデーサプライズ♪

皆様こんにちは、
今朝の通勤中、この時季には珍しい白い雪が降っていて
ホワイトデーやなと思ったマッキ―です(*^^)

てな訳で、本日(3/14)ホワイトデー
ささやかながら奥様・お子様へお菓子をプレゼント♪

バレンタインデーに引き続き…
サイボーグ009に扮したマッキーが登場しました。
(前回と変わり映えしない気がしますが、ご了承くださいませ)

ドアを開けて…

個室会場に潜入♪

そして、レストランでも…

前回は、バレンタインデーだった為、
奥様方には「逆チョコですが…
男性の方には(私が配る時は)「女性じゃなくて申し訳ないですが…」
という何か複雑な気持ちで渡しましたが、

今回は、胸を張って「ホワイトデーなので!」
と気持ちよく渡せたのが良かったです。

たくさんのお客様に喜んでいただき、
笑顔溢れるホワイトデーとなりました♪
(意外と「今日ホワイトデーだったんだ…」という声もちらほら…

次回のイベントもお楽しみに!

゚*。☆ いいね! フォロー お待ちしてます♪ ☆。*゚
あああ

宜しくお願い致します
\(^o^)/

 

Recruit SPIRITインターンシップ開催!

皆さまごきげんよう、ゆきでございます。

すこしご報告が遅くなりましたが、先月下旬に、㈱リクルート様主催の
インターンシッププロジェクトが開催されました!

リクルートインターンシッププログラム「SPIRIT」

こちらはリクルート様の地域貢献の一環で、

参加者は約1500名の中から選ばれた大学生・大学院生たちが参加しました。
一週間という短い間でしたが、南三陸という町を真正面から、
見つめ、考え、時にチームメイトとぶつかりながらも、
一生懸命に向き合って頂きました。

南三陸入りして二日目、実質南三陸初日です。

南三陸という町を知って頂くために、

学生様方にはまず「震災を風化させなための語り部バス」を体験して頂きました。

現場を実際に見ることにより、テレビよりも何倍も伝わったようです。

「他人事にはせず、自分事として教訓を伝えていきたい」
「若い世代の語り部がもっと増えるといい」
「語り部バスに乗車前と乗車後で、震災の印象が変わった」との感想もありました。

そして、女将さんの講話では震災当日から今に至るまで、復興状況や地域の課題など、
ゆっくりと、震災と南三陸の理解を深めて頂きました。

 

そしてまたホテルを飛び出し、地域ヒアリングの時間です。

まず、弊社所有の民間震災遺構「高野会館」をご見学頂きました。

 

 

当初20分ほどのご案内予定だったにも関わらず、熱心な学生様の真摯な姿勢や質問に、ついこちらも熱が入り、少し時間がオーバーしてしまうほどでした。

ここから、3つのチームに分かれて「南三陸てん店まっぷ」に掲載されているお店に立寄りお話を伺いました。

 

 

 

ここで回ったお店は、もともとあった場所ではありません。

被災し、もとの場所にはお店を建てられなくなってしまったために、 それぞれの場所でお店を開いています。それは大通りから入った目立たない場所であったり、人通りが少なく、再建したことを気づかれないような立地のお店もあります。

そんな店主の方々からは、震災の日、震災後の話、この場所に店を出すことを決めた話や地域の問題・課題などなど、現場のリアルなお話を伺い、また、それを受けての質問も多く飛び交いました。

皆さん一人一人の中で、だんだんと南三陸の全貌が見えて来たことでしょう。

そして迎えた、中間発表。フィードバックの時間です。

この中間発表では、主催者側の意図していることと、学生さんが考える内容と相違がないか、摺合せも兼ねています。南三陸を、外側から内側からたくさん見聞きしてきた今、どんな意見が出ることでしょう。


㈱リクルートライフスタイルの橘GMも駆けつけました。
 

 

まだ南三陸に来て数日ながら、大変立派な発表内容でした。

尾崎部長からも叱咤激励の言葉がかけられます。

それから学生の皆さんは一日のほとんどを、地域の研究と提案のためにチームメイトと話し合う時間となりました。(町内で使えるお食事券もお渡ししていたので、お昼に外へ出て利用するグループもありました)

そしてもちろん! 南三陸のおいしい海鮮炭火焼も楽しんで頂きました!

 

 
見てくださいこのしずる感!そして炭火でじっくり焼いたぷりっぷりのイカ!


志津川名産!鮭のちゃんちゃん焼もどどんと各テーブル一皿ずつ!

 
海鮮炭火焼きの王様、ホタテ!仙台名物の牛タンも炭火でジューシーに!


出ました!マグロの兜焼き!学生さんの熱意に応え、料理長も大奮発です。30センチをゆうに超える大きさのりっぱな兜、頬の内側にはコラーゲンや DNAがたっぷり。より良いアイディアが浮かぶかもしれません。 お腹も心もいっぱいになって頂きました! 朝から晩まで南三陸づくし、「南三陸の体」になってきましたでしょうか(^0^)/

そんな楽しい夕食の一コマをはさみつつ、みなさんはまたそれぞれのワークに取組みます。

そしてお越し頂いたのはちょうど第二回東北被災地語り部フォーラム開催の日。被災地の今とこれからの勉強のために、学生さん方にもご参加頂きました。

 

壇上でマイクを持つ場面も!館内においても、非常に心強い存在となりつつあります。

そして迎えた、最終発表日。

今まで1から南三陸を吸収してきた皆さんの集大成!毎晩遅くまでの話し合いや資料作りで、あまり睡眠がとれなかった方もいらっしゃったのではないでしょうか。

審査は、弊社女将と尾崎部長です。

またアドバイザーとして倉橋インバウンド部長に来ていただきました。

 

 

 
インバウンドの観点で、倉橋部長からの講評です。

 

 

皆さんのご提案、確かに受け取りました!

 

審査員がそれぞれのチームに混じりながら、フィードバック。

 

最後はお疲れ様の懇親会。

一週間ほんとうに頑張りました。

学生さんにとっては、それぞれの力に、私たちホテルにとっても若い世代の提案が新鮮で勉強になりました。

リクルートインターンシップSPRITご参加の皆さま、心より御礼を申し上げます。 まだまだ紹介しきれなかった南三陸の魅力もたくさんございますので、ぜひまたいつでも、南三陸に遊びに来てくださいませ!

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震災から8年目の3.11

皆様こんにちは、マッキ―です。

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東日本大震災発災から昨日で8年。
当時より応援・ご支援・ご協力いただいてきました皆さまへ、
改めて心より感謝と御礼を申し上げます。

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昨日(3月11日)の天気は、
まるで震災当日の悲しみを表すかのような雨、
そして、海も大荒れという悪天候。

その中でも、当館スタッフ・ご来館いただいたお客様が、
5階のロビー・ラウンジに集まり、
震災で亡くなられた方々に追悼の意を表し、
3月11日14時46分に、黙祷いたしました。

震災当日、猛威を振るったこの志津川湾も、

現在では多くの海藻類が育ち、
それらを求めて飛来する絶滅危惧種の「コクガン」などの野鳥が、
この志津川湾に姿を見せています。

その多様な自然環境が評価されて、
昨年、ラムサール条約に登録されました。

そして、この自然豊かな志津川湾とともに、
震災の記憶を風化させることなく、
今後も当館は後世に語り継いでいきます。

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~防災・減災について学ぶ~
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ご宿泊の際には、
ぜひ語り部バスにご乗車いただき、
震災当日の南三陸、
そして被災地の「いま・これから」を
一緒に考えませんか。

桜 花咲く命の森に

 

6日ぶりのご無沙汰です。Bluebirder*Sです。

 

南三陸ホテル観洋は、森を持っています。

小高い丘の上、観洋からは歩いて20分ほどのところ。

海の見える森です。その名は「海の見える命の森」。

志津川湾の絶景を一望できます。

観洋を訪れるボランティアの皆さまの手で 整備中。

3.11を前に、3月10日、命の森では 桜の植樹会が開かれました。

参加は6つの企業と2つの団体、名古屋は菊武学園大学、

東北福祉大学の学生さん。

株式会社アデンランス、東京世田谷ライオンズクラブ、

DCMホーマック株式会社、

P&Gプロクター&ギャンブル・ジャパン、ピクテ投信投資顧問株式会社から

総勢100名余りがご参加くださいました。

中には三重県から日帰りでお越しの学生さんも、いらっしゃいました!

実行委員長の後藤一磨さん。

「森から海へと命が繋がっている。

壮大な命のドラマが始まる森にエドヒガンザクラを植え、

海を望みながらお花見の出来る場に、命を考える場にできたら」と挨拶。

 

参加企業と団体の代表者さまからご挨拶を頂いて、

 

植え方の手ほどきは、NHK趣味の園芸でお馴染み桜野さん(ワォ♪)。

NPO法人さくら並木ネットワークメンバーです。

そして いざ植樹!

以前に植樹された桜の木に加え、今回は、桜の木53本が植えられました。

この通りの素敵な眺望を持つ 命の森。

国道45号からの見上げる小高い丘の上に展開していて、

3年後、5年後、10年後・・・

きっと桜の花咲き誇る一大名所になっていくことでしょう。

午後は、3.11追悼・復興祈願セレモニー。

3.11犠牲者に慰霊の花が手向けられ、

一同揃って、黙とうが捧げられました。

「桜を植えたことで 更に南三陸町への思い入れが深まりました」

そんな声も聞かれた今回の植樹会。

 

海の見える命の森は、数年後、桜咲く命の丘に。

四季折々、豊かな自然美を紡ぎ出して行くことでしょう。

ご参加のみなさん、お疲れ様でした。

そして、ありがとうございます。

皆さんも、観洋にお泊りの折には、どうぞ訪ねてみてください。

そこには、南三陸町の新しい名所があります。

その名は「海の見える命の森」。

東北・南三陸から想いをこめて。

皆さん、こんにちは。カナです。
最近は本当に暖かくなってきましたね。
春もすぐそこまで来ているのかもしれません。

本日3月10日。
ボランティアの皆様と共に開拓を進めている、「海の見える命の森」にて、
今年で第3回目の開催となる「桜の木 植樹会」が行われました。

「海の見える命の森」は表の山道からの入口と、
山を切り拓き、車で山頂まで向かう2つの通路が完成しました。
(↓切り拓く前の様子。一応、裏道として使われていました!)

(↓山頂側から見た上記の写真の様子です。「道」になっています。)

整備にはもう少し時間がかかりそうですが、
桜の苗木や作業するための道具などは安全に運べるようになり、
前よりも作業が進みやすくなりました。

そして、前よりも草木の整備も進み、海を180度眺める事ができるようになっています。
皆様の協力により開拓が進んでいく「海の見える命の森」です。

【過去 2回の内容です】
□2017年の様子【あれから、6年】
□2018年の様子【3.11 南三陸より】

私の地元の震災当時のお話となりますが一読頂ければ幸いです。
□2018年掲載【新たな一歩を】

3回目となる今年は例年より多く皆様にご参加いただき、
約100名近くの方と一緒に植樹を行い、新しい桜の木がまた増えました。

本日はその様子をご紹介いたします。

朝10時。雨の予報があった今日はぽかぽか天気での開始となりました。
開会のあいさつは当館で「語り部ガイド」として、
町内の案内も行っている 後藤一磨実行委員長より。

「今日は大勢の皆様をお迎えできて、とても嬉しく思います。
皆様が立っておられるこの森を、私たちは「命の森」と名付けました。
森に降った雨は草や木を育て、大地の養分を吸収し田畑を潤し、
やがて海にそそぎます。
その養分がワカメや植物プランクトンを育てます。
植物プランクトンは動物プランクトンや牡蠣のエサになり、
また、小魚の命を育み、中型魚、大型魚へと命が巡るのです。
それらを私たちは食べて生きています。
壮大な命のドラマがこの森から始まるのです。

今日はこの森に「エドヒガンサクラ」を皆さんに植えて頂きます。
「千年の寿命」を持つ桜の苗木です。
春になると山の神が里に降りてきて
農業の神様=作の神になるといわれています。
その作の神が降り立つ木なので「サクラ」と名付けられました。
沢山の皆様のご厚意で苗木が用意され、沢山の皆様の手で桜が植えられます。
今年で3回目を数える行事となりました。
百本を超す桜の森となります。皆様に感謝致します。
何年か経てばこの森は海を望みながら花見ができる場所になるでしょう。
桜の花を愛でながら8年前の津波を想い、
「命とは何か」を考える場所にできたらと思っています。
慣れない作業かと存じます。気を付けて桜を植えてください。」

今回、約100名の皆様に植えて頂いたのはこれから先1000年も生き続ける
私達が今の世界からいなくなって、ずっと先の人たちへ。
あの日起きた出来事と共に伝わっていくように植樹や開拓を続けます。

この後は、桜協賛企業の代表者様にそれぞれ挨拶を頂きました。
・株式会社アデランス 国内事業総括部 渉外担当部長 藤生様

・東京世田谷区ライオンズクラブ会長 丸山様

・P&Gプロクター・アンド・ギャンブル・ジャパン株式会社 佐沼店店長 永谷様

・富士通エンジニアリングテクノロジーズ株式会社 管理本部長 箭内様

・ピクテ投信投費顧問株式会社 取締役社長 萩野様

・東北福祉大学バレー部 ライジングサンの皆様(代表者様)

・菊武学園大学学生・大学スタッフの皆様(代表者様)

・ナガイレーベン株式会社 澤登慎平様

その後は、作業の注意などの説明があった後、

「桜祈念植樹セレモニー」を開催。
初めは桜並木ネットワークの桜野様より、
「エドヒガンサクラ」の植え方などをご説明頂きました。
まだ幼い木の幹は根っこが折れてしまうともう枯れてしまう事、
あまり深く掘って中に入れても育ちにくいこと、など、
木の習性と共にお教え頂き、

そして、その後に最初の1本を、代表者の皆さんで植えてスタートとなりました。

今回は各3チームに分かれ、斜面での作業です。

もともとの山を開拓している事もあり、少し急斜面の場所などは
お互いに声をかけあっての作業となりました。風が強いと少し危ないような感じです。
所々には休めるように丸太で作ったベンチもあるため、
山の景色を見ながら一休みできます。

観洋スタッフでも植樹を行いました!目印は斜面の丸太ベンチ付近です。
(写真左から、昆野副支配人・尾崎部長・齋藤課長)

土の中は他の根っこだらけでしたが、それを邪魔にならないように取り除き、
丁度良い深さまで掘り進め、根と幹のつなぎ目が隠れないくらいの深さを掘ったら、
穴に入れ、栄養の入った土を上からかぶせます。

その後はまた掘りだした土をかぶせて、再び栄養の入った土をかぶせます。
そして上から水をかけて中まで浸透させた後、木の近くに穴をあけ、
上記写真左部分に写っている竹を差し込み、木の幹を預けるように結びます。
→まだ細い木の幹は風が吹いてしまえば簡単に折れてしまうため、
支柱が必要との事でした!

他のチームも順調に植樹を行っていき、

お昼すぎ頃には今回第3回目の苗木は無事、怪我人もなく植え終わる事ができました。
その後は山頂にて参加して頂いている皆様と一緒に昼食。
(うっすらと「ハロ」も見る事ができましたよ!見えている木は「山桜」です♪)

参加者の皆様、海を見ながらのお弁当はいかがだったでしょうか?
今日は天気もぽかぽかで外でのお弁当日和ともいえる天気でした。

午後からは、
「東日本大震災追悼の祈りと復興への願い」セレモニーを開催。
当館の阿部女将より追悼挨拶がありました。

「明日3月11日で東日本大震災から、8年が経過します。
たくさんの皆様から応援をいただいたおかげで今日を迎える事ができました。

南三陸町の中心部においては八割もの被災でございます。
駅も警察署も病院も役場もすべて失ってしまった環境の中で
我々も「何とか前を向かなくちゃ」と思いながら、
一歩一歩進んできてこの8年を迎えることが出来ました。

我々も「この出来事を風化させてはならない」と
思ったわけでございますが、
他県よりお越しいただいた方からは、
「ここは初めから野原だったのですか」「さら地だったのですか」
と町中に行かれると仰るようになりました。
それを聞き、「きちんとお伝えしなくては」と思いました。

今、海の見える命の森にて実行委員長をされている後藤一磨さんは、
「語り部」として震災直後からご尽力を頂いております。

昨年よりこの地に設置をした、「津波てんでんこ」の石碑。
「てんでんこ」は「てんでんばらばら」の方言で、
津波が来たらバラバラでも高台に逃げる。
「いのちてんでんこ」とも言えます。
この地域の人たちが忘れてはならない言葉、
そして、東北のみならず他県の方にもぜひ覚えていてほしい言葉です。

ご協力頂いている桜並木ネットワークの皆様には
震災後より各地にて五千本もの桜の木を植樹頂いております。
「津波で被害があった場所へ桜を植樹する。」
それはだんだん大きくなってきたら、地元の子どもたちにも分かりやすく、
「津波がきたら桜の木よりも高い場所へ避難するんだよ」の教えにも繋がります。
それから東北はやや寒さが厳しい場所ですから
春を迎えるにあたって、やはり肌で感じる暖かさだけではなく、
目で見て感じるピンク色の山が色づくと言うのは
とても人の気持ちを明るくするなと感じました。
その素晴らしいプロジェクトが
この海の眺めの良い山にお話が届いた時にはとても嬉しく感じました。

今日、地域の方がここにお越し頂いた際に、
「こんなにここは海が見える場所だったんだね」とびっくりされていて、
「良い場所ができた」と喜んでおられました。

皆様と一緒に追悼の式が行えること、大変感謝申し上げます。
大震災にて失われた尊い命の御霊に皆様と祈りを捧げたいと思います。宜しくお願い致します。この度は本当の心より感謝申し上げます。

追悼挨拶の後、各団体・企業の代表者様に献花を行って頂きました。

海へ向けて、想いを献花に。
その後にも、ご参加者の皆様にも献花をして頂きました。

2011年3月11日。午後14時46分。
この時刻に合わせ、海が見えるこの場所で黙祷を捧げました。

今回で3回目となる「海の見える命の森 桜 植樹会」

閉会の挨拶と共に今日、1つの報告がありました。
それは3年前、第1回目の時に植えた桜の木に小さな小さながついた事。

これは紛れもない第一歩です。
今年、咲くかどうかは分かりませんがこの海を見守りながら育ってきた桜の木。
これから何十年、何千年先にはここがピンクの桜で満開になっていることを、
また再びこの地で会える事を祈って、
最後は集合写真を撮影し、無事幕を閉じる事ができました。

明日、2019年3月11日で2011年に起きた東日本大震災から8年が経過します。
8年が経過する今、震災遺構として残っているものを後世にどのようにして
伝えていくのか、今、私達が出来る事は、やらなければいけない事は、
何なのか、考える日になるかと思います。

明日、実際に現地に居なくても、
想いをよせていただくだけでそれが1つの支援となります。

明日は様々な当時の映像がテレビや、インターネットでながれます。
「他人事」とは思わず「自分事」として今一度、災害について考えて頂ければ幸いです。

東北・南三陸より想いをこめて皆様に感謝申し上げます。
これからも復興の様子を見守って頂ければと思います。

気仙沼市東日本大震災遺構・伝承館は明日から公開開始

こんにちは、むっちゃんです。

明日、3月10日
震災遺構として保存が決定した「旧気仙沼向洋高校校舎」が
東日本大震災遺構・伝承館としてオープンします。

なので本日は、私の母校である向洋高校の
震災当時の様子を少しお話します。
(手持ちの写真が少なく、文字が多くなることをお許しください)


2011年3月11日。
あの日は午前授業でしたが、
部活や補習授業などでほとんどの生徒が校内に残っていました。
私も学校に残り、学年最後だからと
クラスの皆と鍋パーティーをしていました。

自由解散だったので、
午後2時半過ぎ、そろそろ帰ろうと友達と一緒に校舎を出ました。
緊急地震速報が鳴ったのは、そのすぐ後です。

あの時は誤報も多く、小さな地震でも速報が鳴っていたので、
今回もどうせ誤報だろうと思い込んでいました。

けれど、起きたのは立っていられない程の大きな揺れ。
近くに停まっていた車は生きているかのように飛び跳ね、
慌ててしゃがみこんだ地面はすぐに地割れを起こしました。

揺れがおさまったとき、真っ先に聞こえたのは
「逃げろ!!」
という先生の声でした。

校内に残っていた生徒は迷うことなく正門へ向けて走り、
点呼を取りながら地福寺、陸前階上駅、階上中学校へと高台に避難しました。

その途中に振り返って見た
沿岸に生える樹木を遥かに越える真っ黒な津波は今でも忘れられません。

学校は海岸から約500mの場所に建っていましたが、
先生の素早い判断のおかげで、
校内に残っていた生徒は全員無事でした。

それから、電気水道が回復し、
向洋高校の三科それぞれが、市内の高校三校に分散して授業を行っていた頃。
一度だけ、被災した向洋高校に行ったことがあります。

どういう状況なのか、知りたかったからです。

実際に行ってみると、がれきだらけであまり近づくことはできませんでした。
ただ分かったのは、
せっかく新しく工事していた校舎がめちゃくちゃになってしまったことと、
校庭に建てられたプレハブ校舎が跡形もなく消えていたことでした。

実は、入学してすぐ校舎の工事が決まったので、
本校舎で授業を受けた回数は少なく、
主に学校生活を送っていたのはプレハブ校舎でした。

思い出深いプレハブ校舎が
跡形もないことがとても悲しかったのを覚えています。

三校に分散後は、
気仙沼高等学校の第二グラウンドにプレハブ校舎を建て、
そこで卒業までを過ごしました。

現在は、
旧校舎から2キロ程離れた場所に建てられた新校舎で授業が再開されています。


初めに言った通り
今なお震災の爪痕が残る旧向洋高校の校舎は明日から一般公開されます。

明後日で、東日本大震災から8年。
時間が経つにつれて、記憶が薄れていくのは当たり前ですが、
もう一度あの時の状況を胸に刻むためにも多くの方々に見ていただきたいです。

校舎内は、ほとんど当時のまま残っています。

4階まで押し寄せた津波の跡も、
教室に流れ着きひっくり返った車も、
骨組みがむき出しになった教室の天井も、
床に散らばる教科書や上靴も全て、あれから変わっていません。

先日、旧向洋高校に行く機会がありました。
特別に中を見せていただきましたが、
懐かしい気持ちと共に、当時を思い出して涙がこみ上げてきました。

見たくない方もいると思います。
思い出したくない方もいると思います。

それでも、風化させてはいけないんです。
今後起こる災害から自分の身を守るため、
誰かの命を守るため、忘れてはいけないんです。

校舎の公開は限られたところのみですが、
伝承館には津波の脅威を伝える大型の映像シアターなどもあります。

海風をさえぎるものは何もないので、冬場はとても寒いですが、
あの時学校に残った先生たちはこんな寒い中一夜を過ごしたのかと
身をもって知ることができると思います。

開館時間や入館料などの詳細は上記画像の通りです。

東日本大震災から8年。
向洋高校を知っている方も知らない方も、
一度足を運んでみてください。
改めて感じること、学ぶことがたくさんあります。

どうか、明日からの一般公開が、
同じ悲劇を繰り返さないため、
災害について再度考える良い機会となりますように。

マリンパルだより 3月その2

こんにちは、マリンパルゆりでございます。

大家好,我是保育园的优莉。

また少し寒いですが、南から爽やかな風を伴い陽気上昇。もうすぐ春が来るかなと感じます。

今週、久々の嬉しい再会があり、気持ちも春のように暖かくなってきました。

そうですね、横浜から来た金子初音さんと言の葉墨彩画家の作家のひろはま先生たちとの再会です。

虽然还有些冷,清爽的南风已经带来上升的阳气,让我们感到春天已经很近了。

最近,令人愉快的久违的再会,更加让我从心里感到春天的温暖。

这就是,与来自横滨的金子初音女士和言语水墨画作家广浜先生的再会。

今回、「第21回、あなたのとなり展」の搬入のため、ひろはま先生御一行3名がホテルに3日間お泊まりいただき、春にぴったりの様々な新作を展示してくださいました。

借「第21届,在你身边展」布展的机会。广浜先生一行3人,在酒店驻在3日,布置了充满春天气息的展台。

ひろはま先生も皆が参加出来るようにとその場でタンポポの絵にありがとうのメッセージをかいて、伝えたい、想いを書いて、貼ります。展示会は5月20日まで開催しております!ぜひお越しください!お待ちしていますよ。

`广浜先生在现场绘制了巨幅的壁画背景,并且请大家参与,将写有自己向最想感谢的人传达的心情和留言写在蒲公英的卡片贴在留言背景上。此次展示会到5月20日为止。欢迎广为参与,敬待大家的光临。

ひろはま先生ご本人です!

这是广浜先生本人!

なにより、その間、ひろはま先生達はマリンにもきて下さり、ご一緒された初音さんが本物の劇団から衣装を借りてきていただきました。衣装を皆に着せると・・・。こんな仕上がりに!(●^o^●)似合うでしょ!?

更令人高兴的是,在这期间,广浜先生一行还抽空来到保育园,借来了真正的剧团用服装,让大家换装。。。。。换装后的我们是这样的。。。。。(*^。^*)

小さい頃日本のアニメ「一休さん」が大好きの私、まさか自分も一休さんの衣装を着て、一休さんになれるなんて!何と懐かしく小さいころ見たアニメをいっぱい思いだしました。

みんなノリノリでいろんなポーズをしたり,チューチュートレインのものまねをしたりして大笑いして、本当に楽しい時間を過ごしました。

小时候就非常喜欢,可以说是看着日本动画片「一休」长大的我,是一休的忠实粉丝。没有想到,自己也可以扮演一休,让我回想起了很多小时候的事情。

大家兴奋得模仿着一休的动作,模仿着轮回旋转。。。。。大家开心的笑着,闹着,开心极了。

衣装は、横須賀の劇団河童座さんが快く貸して下さいました!演劇の「あおげあおげ」で使用する衣装です。

服装是从横须贺的河童座剧团借来的,狂言剧「仰,仰」用。

似合うでしょ(*^。^*)小坊主に変身です。

像不像小和尚。(*^。^*)

短い再会の時間はあっという間、お別れの時間になりました。

相聚是短暂的,一晃又到了分别的时候。

3日間、本当に嬉しい再会、また次の再会をたのしみしてます、おまちしていま~~~~す。

非常令人高兴的再会,期待着下一次的再会。

皆さん時間あれば、是非ホテル観洋においでいただき、展示会をご覧くださいね、きっと何か気になるものと出会えるかもしれないよ!

「ありがとう」のメッセージのご記入もお忘れなく!!

如果有时间,一定来酒店参观一下,也许会发现自己喜欢的东西。

感谢的留言不要忘记哦!!

Hinamatsuri, Girls’ Festival

Last Sunday it has been taken place of Girls’ Festival or Hinamatsuri in all over Japan.

Dolls displayed at Minami Sanriku Hotel KANYO.

It is a Japanese tradition to pray healthy growth of girls, by decorationg dolls with flowers of peach and donating tiny rice balls and rhombus-shaped colourful rice cakes.

Rice Balls

It is 3rd March every year. Origin of Himamatsuri may derive from Kyoto of about 1,000 years ago, but it is spread to all of Japan in Edo period 400 years ago.

In Tohoku it is a little bit different from other area of Japan. We hang dolls from the ceiling. This is “Kazaribina” or hanging dolls of Senmaya district of Ichinoseki City in Iwate.

They donate and decolate also Sake which is important for Senmaya area.

Only 1 hour drive to Semmaya from Shizugawa to experience authentic Japanese festival.
Sergio

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第2回東北被災地語り部フォーラム 【分科会①】震災遺構の保存と役割を考える

皆さんごきげんよう、ゆきでございます。
今回は分科会①の内容をおまとめしてお届け致します。

~ブログの曜日やイベントの関係上、前後してしまいますが、後ほど読みやすく順番を変更致します~

分科会①
震災遺構の保存と役割を考える

コーディネーター:山内 宏泰 氏(気仙沼リアスアーク美術館副館長)

パネラー:鈴木 卓也 氏(南三陸ネイチャーセンター友の会代表)

宮本 肇 氏(前北淡震災記念公園総支配人)

釘子 明 氏(陸前高田寿一語り部くぎこ屋代表)

今回の議題は、震災遺構の保存について。
しかし、遺構は保存が難しいのです。
なぜ、難しいのでしょうか。
それは、遺構は何か、定義が出来るものではないことが理由として挙げられます。

遺構を残す方法としては、公的に保存することと、私的に保存する2つの方法があります。

遺構を残すために考えられることと言えば
・・・やはりお金がかかること。公(おおやけ)の機関による支援が必要不可欠です。
しかし、公的機関の支援を受けるには、様々な条件があり、全てクリアすることが難しいです。


高野会館(2013年撮影)
2011年3月11日、 327名と、犬2匹の命が守られました。

当館が所有する「高野会館」は私的に保存をしていくことを決めました。
条件等はありませんが、お金がどこからも出ない上、
全ての責任を個人が負わなければなりません。
しかし、保存するための理由は、個人的な目的ではありません。

お金は出るが様々な条件がある公的、
条件はないが資金的援助がない私的、
それぞれのメリット・デメリットがあります。

遺構は公的定義が出来ないものがほとんどです。
建築であれば、建築基準法を守らなければなりませんし、
人が入るようであれば、消防法を守らなければなりません。

建築物という形では残せないのです。

では文化財としてはどうか?
・・・遺構を文化財にするには時間的条件などがあります。

残す方法の一つとしては、囲った公園の中に残ことが挙げられます。
今残されている遺構のほとんどがそれに該当します。

公園化のメリットとしては、もちろん公園内に残せることです。
デメリットとまではいかないかもしれませんが、「公園」という定義をすることにより
遺構の意味が、本来の目的とは違うものとなってしまう恐れがあります。

また、「遺構=人工物」というパターンが多い中、
南三陸の事例では「津波により洗い流された場所に新たな自然環境が形成された」ことにより、
それを後世へ残したいという動きもあります。
「災害がもたらしたもの」という意味では、遺構かもしれません。
「人間と自然の関係性」も遺構という形で残せるのでは、という意見もありました。

兵庫県南部地震で出現した野島断層は、人工物ではない遺構の一つです。
地震に備える大切さを後世に伝えるため保存されています。


質問や意見も出ました。

第一分科会の結論としましては、
保存のためには、国や県が定めたある一定の定義を満たす必要性があり、
それを満たすものとしては、遺構の定義づけが自然となされてしまうため、
その土地の地域性や元々持っていた機能(壊れる前はどのような役割を担っていたか)
などが一律に考えられてしまう危険性があります。

遺構の定義はさまざまあるべきなのです。

どうしても、「遺構」と言うと「防災・減災教育の場、祈りの場」でなくては
ならないのではないか、観光目的・人を集めるために使うのは正しくないのでは、
という定義に当てはめてしまいがちですが、
それはケースバイケースで、
観光の為に活用する遺構があって、
教育の目的があって、
祈りの場の遺構があって、
それぞれ
一番正しい方法で残していけば、
意味のある残し方が出来るのではないでしょうか。

震災から8年が経とうとしていますが、
遺構の有り方も確立してはいませんし、
問題がまだまだあります。

これからも話し合いを重ねて、みんなが納得できる結論が出ることを願います。
皆さまのご家庭でも、震災遺構について語るきっかけとなれば幸いです。


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