マリンパルだより  3月その3

こんにちは、マリンパルゆりです。

朝晩、まだまだ寒いですが、もう、知らない内に、春の息吹をどんどん感じて、春の足音が聞こえてくる季節になってきました。

マリンの庭も冬の白一色から活き活きの新緑や爽やかな紅梅の赤に染められ

もう、春ですね

ヽ(^。^)ノ ヽ(^。^)ノ ヽ(^。^)ノヽ(^。^)ノ ヽ(^。^)ノヽ(^。^)ノ ヽ(^。^)ノヽ(^。^)ノヽ(^。^)ノ

 

一方、マリンのお部屋から何かわくわくの気分があふれてきます。

あれ?三角巾、エブロン、みんなそんな姿で何がありますか?

そうですね、これから、子どもたち大好きなクッキング第2弾をはじめま~~~す!

先生が来るのをドキドキ、ワクワク

バターにホットケーキミックス。。。材料が揃いました。

これ、これだ!3人集中して、注目~~せんせいのやり方をじーーーっと見つめてます。

でも、やりたい!やりたい!前回の記憶でまた覚えています。これからまぜまぜするんですね。

粉をジャポンジャポンいれます。

大好きなまぜまぜタイム。

今日の生地が春の桜色ですね。とてもきれいですね!

カップにいれるのはちよっと難しいので、先生たちがやってくれました。

これから、さらにカラーシュガーをトッピングをします。

真剣にバラバラしている3人組。

よし!できました!色合いが綺麗でしょ♪あとは焼くだけ!

 

給食室まで運ぶのもお仕事です。

給食室まで運ぶのが大好きなSちゃん。毎日あさのコップ運びのお蔭で、もうお盆のもちかたがとっても上手で、ちゃんとバランスよく保て、最後まで待って運びますよ。

”美味しくな~~~~~れ!”

美味しく焼けるかなと心配で”先生気を付けて”とお見送り!15分待ちましょう!

チクタクチクタク・・・

チーン♪お部屋中甘い香り~~!待ちきれないね!

はい~焼けましたよ~!

焼き具合はどうですか?

 

味見もお仕事だよ!

うんうん、フワフワ、甘くて、美味しい~~~~

その後の給食時間もみんなで一緒に食べて、それからホテルのスタッフの皆さんや各家庭に配って、美味しく食べましたよ。

子ども達も自分の手作りなんてとても嬉しい、貴重な体験でした。

 

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陽気上昇、外の気温が回復し、暖かい昼間、子ども達もお外に行きたい気持ちで、良しょっちゅう自分の靴をもって、外に行こうよと先生にアピール!!

外に行くと、とてもうれしいSちゃん。

オリジナルなブランコの乗りかたのTちゃん。

泥遊びに夢中で、先生の”さあー帰るよの声掛けに抵抗して必死にトレイを抑えているRちゃんとSちゃん。

じゃあ、もうちょっとだけ遊ぼうか!

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水たまりを見つけるとベジャベジャするのが大好き!

これから、泥遊びや水遊びもたっぷり遊べるように温かくなりますね!きっと、喜んで遊んでくれることでしょう!

おたのしみです!

それでは、また来週!

 

 

 

Message to the next generations !

(Above photo by Mr. Mikio MIURA, staff of our hotel)

It has been 10 years since the Great East Japan Disaster on March 11.

At Minamisanriku Hotel Kanyo, all the staff and customers silently headed for Shizugawa Bay at 2:46 pm on that day.

Kataribe(Storyteller) Bus

"Kataribe Bus" to remember the disaster.

We will tell you about disaster prevention, preparation for disaster mitigation, what we want to convey, and the experience of the earthquake and tsunami that we want you to utilize in the future.

Our hotel operates a "Kataribe Bus " every day. We are showing not only the situation of town, but also real experiences and what we have learned to our customers. 

 [ Sample Course ]

Departure Hotel 08:45am  -  Togura Area  -  Takano Kaikan  Building  -  Former Disaster Prevention Center  -  Arrival Hotel 09:45am

We believe it is the role of the Kataribe to prevent weathering of the disaster.  This will be our message to the next generations !

Please stay and join our "Kataribe Bus" tour.     Now English, Chinese and Japanese tour are available.   Advance reservation is required.

[ Post Script ]

"The 3rd Tohoku Disaster Area Kataribe Forum 2021" held on February 28th and March 1st.
This year, it was held at our sister hotel, "Sun Marine Kesennuma Hotel Kanyo".

The capacity is limited to 100 people to prevent infectious diseases.
On the day of the event, the forum will be broadcast live online.
It was a forum to deepen learning this year, which is the 10th anniversary of the disaster.

Good day ! from Minhong

Book us at;

甘酸っぱーい!かもめの玉子・いちご味

皆様こんにちは、マッキーです。

今回はちょっぴり甘酸っぱい春の味わい!
「かもめの玉子」のいちご味をご紹介いたします。

 

いちごチョコにコーティングされた
キュートな見た目が特徴!

中には甘酸っぱい「いちご餡」が入っていて、
春がキタ~という感じの味わいとなっております。

料金は9個入り税込1,053円!
可愛らしい「いちご」が描かれたパッケージも、
目を惹くデザインですね。
こちらは3月末頃までの期間&数量限定商品となっております。

近くにお立ち寄りの際には、
ぜひ当館売店までお買い求めくださいませ。

またなかなか外出が難しい方には、
製造元であるさいとう製菓様のネットショップを、
ご覧くださいませ。

復興への架け橋~気仙沼・かなえおおはし開通~

皆様こんにちは、マッキーです。

今回は先日3月6日に開通いたしました、
気仙沼湾横断橋(愛称:かなえおおはし)を紹介いたします。

この「かなえおおはし」は、
三陸自動車道の「気仙沼港IC」と「浦島大島IC」をつなぐ、
全長1344メートルの斜張橋でございます。
※斜張橋とは塔から斜めにケーブルを張り、
橋桁を吊るし、弾性的に支えている形式の橋の事を指します。

そして愛称の「かなえおおはし」は、
この名前は、気仙沼湾の別名である「鼎が浦」にちなみ、
また、夢や希望、願いを「かなえる」という意味も込められています。
※「気仙沼さ来てけらいん様」より抜粋

もしかしたら、東日本大震災から10年。
この橋は気仙沼の人々の夢や希望を形に表した、
復興のシンボルの一つかもしれませんね。

このかなえおおはしの開通により、
三陸自動車道の宮城県仙台市~岩手県宮古市の区間が一本につながりました。
(年内には宮城県仙台市~青森県八戸市までの全線359キロが開通予定との事です)

 

これにより物流の活性化に伴う三陸沿岸地域の産業発展や、
利便性向上による交流人口の拡大、
震災復興にも大きく貢献しそうですね。

ちなみに三陸自動車道は気仙沼市内に10か所のインターチェンジがございますが、
大谷海岸IC」と「気仙沼中央IC」を除く8か所のインターチェンジは、
ハーフインターチェンジとなっております。
仙台方面出入口のみ
小泉海岸IC、気仙沼港IC、浦島大島IC、唐桑半島IC、唐桑小原木IC
宮古方面出入口のみ
本吉津谷IC、岩井崎IC、気仙沼鹿折IC
以上のようになっております。
▼詳しくは下記リンクよりマップをダウンロードできます▼

★ダウンロードはこちらから★

暖かくなって来たこの季節!
春休みのご旅行にぜひ、
より足を運びやすくなりました、
南三陸&気仙沼お越しくださいませ。

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港町気仙沼市が舞台!
NHK連続テレビ小説「おかえりモネ」が2021年5月17日から放送開始♪

当館から気仙沼までは車で約40分!
南三陸ホテル観洋のご宿泊予約はこちらから♪

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10年目のここから。

皆さん、こんにちは!カナです。

3月11日で東日本大震災から10年を迎えました。
あの日、雪が降りとても寒かった日。全てのライフラインが止まりました。
テレビで報道されている映像を見たのは電気が来た日の事。
外で作業をしている時に近所の人が「電気きたよ!つながった!!」と
走ってきてくれたのを覚えています。

そして当館のTwitterが開設されたのは10年前。
こちらのツイートは震災の翌日に発信されています。

※「@kanyo11 2011」と検索欄で調べると出てきます。

10年前のあの日。
避難所になった場所の入口窓、中の壁には
「家族無事」
「○○避難所にいます」
「家族を探しています」
「○○地域の情報求む」等が紙に書かれ貼り付けられました。
地域住民の方々の名前を書きだした一覧もあり、
情報が少ない中でまとめて少しでも多く収集する必要がありました。
電波塔も被災しているため、繋がる場所を見つければそこに皆で行きました。
携帯を貸し借りして電話をかけました。メールをしました。

10年を迎えた「被災地」と呼ばれる場所。
たくさんの気持ちを、支援を頂き今があります。
10年を迎える間にも自然災害は起き続けています。
「予測」も大切ですが何より「今起きたらどうするか」が重要です。
これを読んで頂いているときにおこるかもしれない災害。
今一度、災害について考えて頂ける時になりますように。
不安なニュースが流れる中ではありますが、機会がありましたら
ぜひ、東北にお越しくださいませ。
あなたが好きになれる場所がきっとたくさんあるはずです。

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それではこの前のブログの続きとなります。
2月28日のフォーラムを終え、2日目となる3月1日。
エクスカーションが行われました。

「エクスカーション」って?
...エクスカーションとは、従来の見学会等とは異なり
向かった先、訪れた先で案内人(今回は「語り部」)に耳を傾けながら
参加者も意見を交わし合う「体験型の見学会」と言えます。

私は「南三陸コース」に参加+写真撮影をさせて頂きました。
当日の朝はフォーラム会場だった気仙沼を出発。

南三陸のコースはこんなかたちで進みました⇩
➀南三陸ベイサイドアリーナ(語り部スタート)
案内をして頂いたのは「復興みなさん会代表 後藤一磨さん」

➁袖浜・志津川漁港 (※車内で窓越しに撮影をしたため青みがかかっています)

➂高野会館
※「震災伝承施設」としても認定を頂いております。
その時のブログはこちら→「震災伝承施設に…「高野会館」と「命のらせん階段」が登録されました。」

当時この場所では町内の高齢者の方々の芸能発表会が行われていました。

地震が起きたのは閉会式直後のことでした。エレベーターは止まったために非常階段で自宅へ逃げようとする皆さんを現場に居たスタッフの判断で高野会館内に居るよう、
声をかけ上へと避難を呼びかけました。

簡単に剥がれることなんてない壁も
津波の脅威はものともせず剥がしもっていきました。(写真奥)

館内には壊れたシャンデリアのガラスが散らばり、

あの時の凄まじさ、そして10年の年月を物語っています。

参加した皆さんも様々な意見を交わしながら
メモや写真を撮影頂きながら語り部は進みます。

今は少し見ることがなくなったカセットテープ。
あの日、あの日まで、この場所でたくさんの人々の笑顔に音をつけてきました。

そして、高野会館の一番上へ。

階段を登って、広さはこんな感じです。

津波が到達しているのは屋上より下のライン。
しかし、高野会館にぶつかった波の衝撃で本来避難していた屋上は水浸しになりました。
そのため、高齢者の方々を上記の写真部分へ避難させるというかたちになったのですが、階段入口部分の鍵がなかったため、避難させる際には担ぎ柵を越えさせて上に向かわせました。

高野会館の隣にはスーパーや食事処があった「サンポート」と言う店があり、
高野会館前には病院がありました。
私も小さい時からこちらのお店には来ていて、とても馴染み深い場所です。
屋上の遊具が置いてある場所で遊んだ記憶があります。

次に後藤さんが見せてくれた写真は震災前の南三陸町の様子。

3.11のあの日。南三陸町を襲った大津波。同じ場所から撮影をしています。

こちらは町内の奥側から撮影をしていますので、当館がある場所は映っていませんが写真奥(左側)になります。
写真道路左手前がサンポートとその後ろに高野会館があります。

避難所から地元に帰ってきて車が調達できた頃、南三陸に向かいました。
かつて遊びにきたサンポートには海のブイや瓦礫が絡まり、
かつて店があった場所にも瓦礫が山積みになっていました。
知らない場所になっていたことに衝撃を受けたのを10年経った今でも鮮明に覚えています。
花火大会が開催されたとき、「早く!」と急かした道路も、
出店が立ち並んだ港も好きだった店もなくなっていたんです。
でもその記憶を知るのは「そこに居た人」だけです。

語れるのは、この場所を知る人が第一に。そしてそれを聞いた方が第二に。
それを繰り返していかなければ、
「ここにはなにもなかったんですか」の言葉でその場所はなかった事にされてしまいます。
思い出もその時何があったのかも。

➃戸倉地区 (戸倉小学校・戸倉中学校)

【戸倉小学校】※学校自体は高台に移り授業を行っています。

新しい体育館ができたばかりの小学校がありました。
3月11日の2日前。地震が起き津波注意報が出た時。
先生方は再度避難する場所の確認を行いました。
地元出身の先生が言葉にした意見をもとに、東日本大震災当日、
生徒・先生、避難してきた地元の人達は
「五十鈴神社」と言う丘の上にある神社に避難し助かりました。
赤い鳥居が入口に建つ御社です。津波はこの赤い鳥居の前で止まったといいます。
夜はとても寒く、焚火をして過ごしました。
一晩中卒業式に歌う予定だった川嶋あい様の「旅立ちの日に」を歌い、
励まし支え合って一夜を過ごしたそうです。

のちに、この時卒業生だった生徒さん達が卒業式を行った際、
川島あい様がお越しになり、一緒に合唱を行いました。

【戸倉中学校】※現在は公民館となっています。

後藤さんが示しているのは津波到達の高さ。中学校の1階部分まで及びました。

電気で動いていた時計は「あの時」のまま。

校舎と反対側にあった山。そこに避難した方もいます。
しかし、海側の津波を様子を見ていた方は「山から津波がきた」と言います。
川をさかのぼった波や、地形でぶつかった波が海の方向とは別のほうから襲って来たそうです。

この場所も最初の避難場所は体育館でした。
しかし、1人の先生の機転により「体育館」→「校舎」への避難が決定しました。それにより助かった命があります。
体験した記憶を後世の人達へ。
伝え続けていくことの大切さを感じたエクスカーションでした、

この場所で1日のエクスカーションは幕を閉じました。

動画がYouTubeに載っています。
歩きながらの撮影でございますのでご了承くださいませ↓

1. [youtube https://www.youtube.com/watch?v=AYfs2VZESTc]

2. [youtube https://www.youtube.com/watch?v=Ppr6E51fRmA]

3. [youtube https://www.youtube.com/watch?v=t5u6QQGA3iE]

4. [youtube https://www.youtube.com/watch?v=FzCw9Xi4hAA]

5. [youtube https://www.youtube.com/watch?v=sUByp06Ie0Y]

6. [youtube https://www.youtube.com/watch?v=BnDfNY_r2Fw]

震災後、沿岸部では防潮堤が次々と建設されました。
海が見えなくなった場所もあります。
自然災害を予測することはできても実際の現場の状況を随時、
事細かに分かるのは現地に居る人です。
今いる場所から避難場所まではどれくらいなのか、
もし災害が起きたら車は走れるのか、人は逃げることができるのか。

前回のフォーラムにもありましたが、
「他人事」ではなく「自分事」として考えてください。
ぜひ、この一年が震災を再度、もう一度考える一年になりますように。

低気圧&冬鳥その7

一週間ぶりのご無沙汰です。Bluebirder*Sです。

 

それにしても、凄まじい低気圧でした。

この13日に三陸沿岸を発達しながら北上した

低気圧の猛威たるや!

南三陸町内にも 激しい雨と風をもたらしました。

それはもう まるで台風並み。

 

そのせいで、震災遺構の高野会館の周囲はすっかり水浸しに。

14日の10時15分便の語り部バスは、

お客様を会館内にご案内出来なくなってしまい

申し訳ござませんでした。

 

そんな語り部バスのご案内の途中、

黒崎海岸では波乗りを楽しむサーファーの姿を久しぶりに目にしました。

語り部バスのご案内の最中でしたから、撮影は出来ませんでしたが、

こちらは、以前ご紹介したシーン。

お客様にも、普段は穏やかな志津川湾にも

実は 隠れたサーフポイント

「黒崎スポット」があることもご紹介出来ました。

かっこいいですよねぇ。

しばらく眺めていたくなってしまいます。

 

さて、13日には、徐々に強くなる雨脚の中

いつもの漁港のコクガンは 一体どうしているものかと

様子を観に行ってきました。

まだ、居ます。

この小さな港が また 彼らにとって 心地よい居場所のようで、

外海が荒れていても、

このように

突堤の内側では、穏やかな水面で過ごすことが出来ます。

 

だんだん強くなる雨になど めげる様子も無く、

自慢の羽で きれいに弾いた雨粒を背中に載せ

アマモを求めて 泳ぎ回っていました。

相も変わらず、元気いっぱいです。

既に 北帰行が始まったとはいえ、

南三陸海のビジターセンターによれば、

まだ近辺で90羽ほどが確認できているとのこと。

 

14日朝には、お泊り頂いたお客様から、

「まだコクガンは居るの」というお問い合わせを頂きましたが

大丈夫です。まだ 居ます。

た~だ、今回ご紹介している写真は、どれもブレブレ・・・。

雨雲の下、シャッタースピードが稼げないもので、この始末。

ご容赦くださいませ。

~~~~~~~

おまけ です。

「冬鳥その7」ということになりますが、

14日の午後3時半ごろ、休憩を終えて観洋に戻る途中

歩道から ぱっ!と飛び立つ 黄色い小鳥!!!

 

すわ! キビタキ?!!!

と、思いました。

が、まだ 夏鳥がやって来るには早すぎる。

なぜかまた、小生の進行方向に帰って来て、

しきりに植物の種子か何かをついばんている様子・・・

とっさに スマホのカメラを2倍ズームにして、撮ってみたものの

 

ご覧のように・・・光量も足りずブレブレで 

残念至極な ぼんやり写真に。 この「子」も 困り顔・・・。

 

図鑑で確認したところ、

その正体は 越冬中の マヒワの♂ でした。

どうやら「繁殖期以外は 群れで生活する」らしいのですが

彼は なぜか"単独"。

 

冷たい雨にすっかり濡れながら、

北へ旅立つ準備でしょうか、

一生懸命 餌をついばんで

ちっちゃな体に エネルギーを充電しているようでした。

 

 

後世へ伝え繋げる記録として

こんにちは、むっちゃんです。

一昨日で
東日本大震災から10年が経ちました。

10年という節目を迎え
自分自身の体験、想いを綴った
本を出版された方がいらっしゃいます。

元南三陸消防署副署長であり
現在、震災語り部活動をしている佐藤誠悦様です。

この度
《東日本大震災10年の思い》
亡き妻に捧げるラブレター
と題した本を出版されました。

奥様との出会いや素敵な想い出の数々
震災直後の状況など細かく記されております。

ぜひお手に取ってご覧いただきたいので
中身は紹介いたしませんが
冒頭部分を抜粋させていただきます。

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千年に一度の東日本大震災は
東北を中心とする太平洋沿岸部を、恐怖と悲しみの世界へ落とした。
愛する人や愛する家族、愛する同僚・友人、思い出の家々など
木の葉のごとく攫っていった大震災が憎い。
市街地は破壊され、自分が今どこにいるのかも分からなくなった。
地獄絵図の中にただ茫然としている姿に
無力感と恐怖感が全身を襲ってくるようだった。
懸命に「住民の命を!」と避難誘導、救助活動、救急活動、消火活動に身を置き
「やらねばならない!」という消防職員としての「使命感」を抱き
思い出の我が家や大切な家族との悲しい別れを胸に秘め
この大震災に命をかけて闘ってきた。
その記録を大津波の犠牲となった最愛の妻、亡き厚子に捧げるとともに
大震災激動の10年を懸命に生き抜いてきた体験と
その想いを記録として後世に残す。

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こちらの本は
当館の売店で販売しております。
(税込2,500円)

命ある限り語り、伝え、繋いでいきたいと願う
佐藤様の想いが詰まった一冊を
ぜひご覧くださいませ。

マリンパルだより  3月その2

震災から10年経ちました。これまでのたくさんのご支援ありがとうございました。

いらっしゃいませ。マリンパル保育士小野寺です。タイトルにもあるように、東日本大震災の発生から10年を迎えました。当時を少し振り返ってみると・・・。地震発生時、私はここマリンパルで保育中でした。お昼寝していた子ども達を抱え、園庭に避難。ホテルからワゴン車を一台借り、子ども達と待機しました。するとみる見る間にどんどん海の様子が変化し、ホテルのお客様、近隣の町民の方々、自動車で通りかかった方々が次々とマリンパルに避難してみえたため、園内に誘導しました。あっという間に保育室・ホールや廊下は避難者でいっぱいになってしまいました。電気・水道が止まってし舞いましたが。室内なので、寒さをしのぐには十分でした。その時、いた園児は5名。子ども達が動揺しないように、びっくりしないようにと、贅沢ではありましたが、一つ部屋を確保し、子ども達専用の部屋にしました。その日から日々、避難者の方々の対応と、子ども達が不安にならないようにと配慮し過ごしました。子ども達の各家庭も被災していると判断し、保護者の無事を祈るばかりでした。最初の子のお迎えが来たのは津波から4日目。一人保護者に渡すたびにホッとしました。最後の子どもが帰ったのは津波から1週間後。その間、私たち職員も交代で、町に向かい家族を探したり、安否の確認をしました。

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それから約一か月半後。4月22日(だったような気がします)保育を再開しました。幸い建物は地震の被害が無く、すぐに使用できる状態でしたので、町内のどの保育施設よりもいち早く再開できました。子ども達の家庭も被災しており、保護者の方々が生活の再建が安心してできるようにと園の再開を決めました。職員も全員被災しておりましたので、みんなで協力し、助け合いながら必死の日々でした。それでも、早く保育の仕事がしたいと願っていたので、再開した時は本当に嬉しかったです。子ども達も、待ってましたとばかりにのびのびと過ごせる場に笑顔でした。

当然、電気・水道が使えない中での保育でした。給食はお湯で温めたレトルト食品。食器にラップをかぶせての食事。(これはのちに衛生的に良くないからとの指導で、使い捨ての容器が手に入るようになってからそちらに切り替えました。)

再開し初日の食事はカレーライス

手前にある丸い缶に入っているのは、自衛隊より頂いた缶入りの炊き込みご飯です

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5月前半園庭で食べている炊き出しの風景・・・。保育を再開するに当たり、水・ミルク・哺乳瓶・おむつ・食事等々不足していることをSNSで発信し、全国からご支援の生活用品が続々とたくさん届けられるようになりました。

園庭の隅には仮設トイレがずらりと並んでいました。これにもずいぶんお世話になりました。水洗用のみずの補充は欠かせません!(女性の後方に見えるのが仮設トイレです)

支援物資の仕分けの風景。子供用品は園の子ども達で使わせていただきますが、その他の日用品は当ホテルの避難所で避難生活をする地域住民約600名の方々にもお渡しするために、保育しながら支援物資の仕分け作業も行います。

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日々物資に囲まれて過ごす子ども達でしたが、かくれんぼ気分で遊んでいました。

当時、1歳になったばかりの女の子です。離乳食も十分提供できませんでしたが、よく食べ、良く寝て、すくすく成長する姿は私たちの希望でした。

当時の小野寺です。すっかりやつれてしまい。。。がりがりくんです。人生初のSサイズになりました。今は、、、リバウンドし。。。○○サイズ。。。リバウンドって怖い。。。

紙おむつ等は、地域で困っている方々、気仙沼地域、近隣の保育施設とも分け合うためにお届けしました。

待ちに待った水道から水が出た日!7月2日!

みんな大喜び!水が使える喜びのハイタッチ!

やった~!みずだ~!!おトイレが室内で使える~~~!水のありがたさを実感しました!

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震災以来たくさんのボランティアさんが訪問してくださいました。すべてはご紹介できませんが。。。ほんの一部を(^^)

園庭に線路が出来て、汽車が走った日・・・

みんなみんな大興奮!順番待ちで楽しそうでした!

Christmasが近づくと、子ども達に笑顔を!と、サンタクロースが訪問してくれ、楽しい触れ合いが出来ました。

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震災以降、全国の多くの方々が南三陸、ホテル、マリンパルに目を向けて、手を差し伸べてくださいました。たくさんの方々の支援の輪、支え、応援があったからこそ、保育を継続でき、安心して生活してこれたのだと実感しています。感謝・ありがとうの気持ちでいっぱいです。10年が経過した今、目の前の子ども達の笑顔を見て思う事。この笑顔を見る為に今日まで頑張ってきたのだと。。。安心してマリンパルで過ごせる環境を作って頂いたおかげで今がある。。。と、実感しています。

震災後、子ども達が笑顔で過ごすことで、親も笑顔になる。みんな笑顔にしようを目標に保育してきたことが、実を結んで今たくさんの笑顔の花が咲いています。

これからも子ども達がいい環境で過ごせるマリンパルにしていきたいと思います。

全国、全世界のみなさま、これまでのたくさんのご支援本当にありがとうございました!

最後に。。。。津波直後からずっとホテルで先頭に立って指揮を執り続けてきた女将さん、震災発生時は気仙沼で被災し、4日かけて自力で南三陸をめざし戻って来られ、途中ご自身のお子さんの避難している小学校へ迎えに行き、引き取り戻って来られた副社長。。。(あの時、娘さんは、小学生。食事代わりに配給されたカロリーメイトを全部食べずにポケットに入れていたそうです。「おかあさんに」とお母さんである女将さんに一口でもあげようと考えていたのですね。その優しさに涙してしまいました)。。。工事関係者、被災者の受入から大変なご苦労の中、私たち従業員の雇用もしっかりと守って下さいました。本当に感謝しております。以来10年。様々な困難を共に乗り越え、さらにいまコロナ禍という事もあり、乗り越えるべき壁に立ち向かっています。震災をみんなで力を合わせて乗り越えてきた、当ホテルだからこそ、きっと大丈夫!と信じています。がんばるぞ!!がんばっぺ!!

震災直後からの一年を短くまとめようとするも、うまくまとまらず。。。文章力、表現力の無さを痛感しております。少しでも、当時の様子をご理解頂けたでしょうか・・・!

最後までお読み頂きありがとうございました。

 

震災から10年目の3.11

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震災後今日まで、国内外問わずたくさんの方々に
ご支援やお励ましのお言葉を頂戴し、心より感謝申し上げます。
今後も震災を風化させないための「語り部バス」や
震災伝承施設「高野会館」と「命のらせん階段」をとおして、
防災・減災の活動を世界に広げ、
震災の教訓を後世に、
そして未だ被災していない未災地の人々に伝えてまいります。
最後に自然災害で亡くなられた方々のご冥福を衷心よりお祈り申し上げます。

株式会社阿部長商店 南三陸ホテル観洋
代表取締役副社長 阿部 隆二郎

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震災から10年の節目を迎える本日。
当館スタッフも5階のロビー・ラウンジに集まり、
震災で亡くなられた方々に追悼の意を表し、
東日本大震災が発生した3月11日の14時46分に黙祷いたしました。

本日は天候にも恵まれ、
眼下に望む志津川湾はとても穏やかに見えました。

そして当館から歩いて15分程。
ここ「海の見える命の森」では、
ミャンマーから寄贈された南三陸大仏様が鎮座しております。

今年も新型コロナウイルスの影響で参加できない人も多い中、
この特別な日に様々な想いを持った約60名の皆様が集まり、
「海の見える命の森追悼セレモニー」を執り行いました。

こちらでも、14時46分にはお集まりいただいた皆様が、
志津川湾を眺め、合図とともに黙祷いたしました。

327人の命が助かりました震災遺構「高野会館」

昨年は震災復興祈念公園がオープンし、
南三陸町志津川地区の街並みは年々変わる中、
津波の脅威を後世に伝えるため、
重要な役割を果たすとともに、
この町の復興の様子を見守り続けております。

2012年2月より運行している「震災を風化させない為の語り部バス」は
戸倉地区と「高野会館」の2か所を主に立ち寄るコースでございます。
朝8:45出発の通常コ―ス、
朝10:15出発の高野会館特別コースがございます。

3月10日付の河北新報にも、
「高野会館」に関する記事が掲載されましたので、
こちらもご覧くださいませ。

当館には震災前からここ南三陸・気仙沼に住むスタッフと、
私のように震災後に初めてこの地を訪れて働いている、
県内外各地から来たスタッフが力を合わせて仕事をしています。

「南三陸の復興は観洋から」を合言葉に、
従業員一同より一層精進して参ります。

今後とも変わらぬご愛顧のほど、宜しくお願い申し上げます。

10年間応援への感謝。

 

売店のフジタです。⚾

2021年3月11日で東日本大震災から10年になります。

(「海の見える命の森」から志津川湾を望む)

みなさまからの、この10年間のご支援、応援に感謝いたします。

 

【南三陸復興ストア】では、

『震災から10年 応援ありがとうセット』

感謝の気持ちを込めて「送料無料」で販売しております、こちらのセットですが

たくさんの応援をいただいております。ありがとうございます。

普段現地でしか味わうことが難しい現在、新鮮な三陸の味をこの機会にお召し上がりくださいませ。

 

追記:

東日本大震災から10年。

みなさまおひとりおひとりにとって、この10年はどんな10年でしたか?

私はこの10年、色々なことがありました。

2011年8月、初めて南三陸町を訪れた時の光景は、今も脳裏に焼き付いています。

そのときから今もずっと、心の中で引っかかっているのは、

「自分は‟当事者”ではない、、、」

ということです。

2011.3.11

あの日、この町で自分自身が経験しなかったこと、継続して携わってこれなかったことが引っかかり、

「自分が震災のことを口にしていいのだろうか?今ここにいて、少しでも何か役割を担い、少しでも何かの、誰かのお役に立てているのだろうか?」

と罪悪感にも似た気持ちを抱えているというのが正直なところです。

お客様に震災のときのことを尋ねられても、主語が「私」でご説明ができていない自分。

こんなことで、ホテル観洋のスタッフが務まるのだろうか?

そんな思いを抱えたまま迎えた、2月28日の

『東北被災地語り部フォーラム2011』

そこでの「これからの若い世代がいかに語り継いでいくか」という話題で、

「知らないから語ってはいけないことはない」

というお話をお聞きして、少し気持ちが楽になった気がしました。

「語り継ぐ」というのは、

「語り=経験者」+「継ぐ=聞いた体験と自分の思い」

であるとのことでした。

「それならば自分自身にも担える役割があるはずだ」

と思えるようになれました。

この10年目を「節目」とよく言われていますが、それはあくまでも時間軸的なものであって、私が多くの方々からこの地でお話をお聞きしたことから、私個人が推測することは、あの日、大切な人、大切なものを失われた方々にとっては「節目」として区切りをつけるのは難しいことなのではないかということです。

ここでたくさんの方々が体験された恐怖やご苦労、苦しみは私には計り知れないものかと思います。私が軽々しく語れるものではないでしょう。

しかし、

「二度と同じことが起こらないように、語り継ぎたい」

というお声が、直接経験された方々から聴こえる以上、ご経験されたことや想いを教えていただき、それを自分事として語り継いでいくことが、まず一つ、私にできることなのではないかと考えております。

私はここ、南三陸町で、「いちホテルマン」としてだけでなく、「被災地のホテルマン」として、学び、自分にできることを続けていきたいと思います。

長くなってしまいましたが、最後までお読みくださり、誠にありがとうございます。

明日3月11日、午後2時46分、犠牲になられた方々を思い、そして、今後の災害への備えにも意識を傾けていただければ幸いでございます。

それでは、この辺にて。