一週間ぶりのご無沙汰です。Bluebirder*Sです。
↑ こちらは、志津川湾の夕暮時。
ひと頃 朝夕が急に寒くなったと思ったら、
このところその寒さもいくらか和らいでいるようです。
今年は、エルニーニョの影響で 暖冬なのだとか。
さて、こちらは、南三陸町内 戸倉・折立地区の丘から眺めた志津川湾。
未だに工事車両が行き交い、復興は まだまだ途上です。
↓ 震災前は、ここにも民家があり、商店があり、小学校もありました。
自然の力にあらがうことなど到底できないことを思い知らされたのが、
東日本大震災。
命を守るには、一刻も早く 遠く高いところへ避難することが一番です。
それでは、みなさんは津波警報が出たら どこに避難しますか?
南海トラフ地震の津波の際には、「神社に逃げるとよい」と 言われているようですね。
実際、過去の津波を伴う大震災ばかりか、
2011年の東日本大震災での津波にも被害を受けなかった神社仏閣が
数多く存在している事は広く知られているところです。
南三陸町にもそんな神社があります。
折立(おりたて)地区にある五十鈴神社がそのひとつ。
小さな神社ですが、戸倉小学校児童は、
まさにここで 津波から逃れ 命を守ることができました。
雪の降る中、4年生位までの児童はお社の中で、
残る児童と先生、職員に加え 避難してきた町の人たちは、
境内で焚き火を囲んで一晩を過ごし命を守りました。
総勢190人余り。
東日本大震災の大津波は、五十鈴神社の鳥居の下まで押し寄せました。
が、ここで津波は止まったのです。
石碑に記してある通り、確かに 「ここで」 止まったのです。
神様の不思議な力が働いたのでしょうか?
いえいえ、そこには、先人が古くからあった大津波に対応してきた歴史が、
そのまま反映されているものと 考えられます。
古い歴史を持つ神社は、大きな津波の被害を受ける度に
先人は神社を 高い位置に移設していったと考えられます。
ということは、古い歴史を持つ神社は、その地域で過去に起こった
一番大きな津波を免れる高さに建っているものと考えるのが自然で、
つまり神社のある位置は、
先人が伝える、過去の一番大きな津波の到達点だということになります。
実は 先にご覧いただいた写真は、五十鈴神社のある丘から見た光景で
右側の土石の仮置き場のあたりに 戸倉小学校の校舎はありました。
戸倉小学校では、津波警報が出たら屋上に避難することになっていましたが、
3.11の2日前に起きた地震の後の職員会議で、地元出身の女性教諭が
屋上に避難することに強く異論を唱えたことをきっかけに
避難場所を神社のある高台に見直しました。
2日後、巨大な津波は鉄筋コンクリート3階建ての校舎の屋上5mにまで達しましたが、
結果、神社に逃げた91人の児童の命は救われました。
近くの丘の上に、神社があったことは幸いでした。
すなわち、
「津波の際は神社に逃げる」というのは、的を射ていると思われます。
皆さんのお近くにも、高台に古い歴史を持つ神社はありますか?
是非、確かめておきましょう。
そこは、あなたの命を守る「鎮守」であり、境内はあなたを守る聖域になる筈です。