一週間ぶりのご無沙汰です。Bluebirder*Sです。
地元の病院でのお勤めがご縁で、20代のカップルが ゴールイン♪
この5日、地元南三陸町の絵美さんと 隣まち 登米市の博史(ひろふみ)さん、
お二人の結婚披露宴が、当館ホテル観洋で執り行われました。
お二人とも、看護師さんでいらっしゃいます。
博史さんは、お母さまを2年ほど前に亡くされたばかり。
お母さまは、同じく看護師さんで、毎日一生懸命患者さんの為に働いて、
どんなに遅く帰っても、食事をちゃんと作ってくれた。
博史さんは、そんなお母さんの背中を見て、看護師を志したそうです。
一方、絵美さんは、地元戸倉中学校で 3.11 東日本大震災の大津波に遭いました。
当館で、毎朝運行している 震災を風化させないための”語り部バス”では、
高い丘の上にある校舎でありながら
1階天井まで津波にのまれた戸倉中学校の避難劇もご紹介していますが、
あの時助かった生徒が、目出度くご結婚の日を迎えたのです。
今は亡きお母さまの意思を継いだ博史さんと、
波高22.6mの津波を免れ この佳き日を迎えられた絵美さんの姿に
一入の喜びを噛みしめていらっしゃるのが、ご両家のご家族でしょう。
いつまでも仲良しな夫婦でいます、というのがお二人からお客様への誓いです。
ご出席の皆さまから、心温まる祝福を受け、
お2人は、大いなる未来、明るい希望の海原へと船出です。
いつまでも、お幸せに。
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ところで、前回は、2億5000万年のロマン♪ ウタツギョリュウを話題にしました。
その、ウタツギョリュウが見つかった歌津地区の舘崎で、
最近 新しい発見があったこと、ご存知でしたか?
そもそも、ペルム紀(約2億9900万年前から約2億5190万年前まで)の
地層がむき出しになっている上に、
岩が板状に薄く剝がれやすい状態になっているようですから、
これからも、次々 化石が見つかりやすい状況の場所なのです。
こちらは、新種の化石が見つかったことを知らせる今年4月の新聞記事。
22年に、「南三陸を化石で盛り上げる会『Hookes(ホッケス)』の
髙橋直哉(なおや)代表が、歌津館崎で発見した”のうとう類”の化石。
これが、新種だったのです。
"のうとう類"というのは、目と脚以外が甲皮に覆われた甲殻類、
カニやエビの類いに属する節足動物のひとつで、
シルル紀(約4億3800万年前から約4億8000万年前)から
白亜紀(約1億4600万年前から6600万年前)まで、
3億数千万年の間、世界の海に生息したといわれています。
館崎辺りは、国内唯一の”のうとう類化石の産出地”で、
これまで、多くの標本が採集されてきましたが、22年に見つかったものは、
これまでのものとは表面の模様や形が異なっていることから、新種と判断。
種名には、髙橋代表の名前「ナオヤ」が採用され、ご覧のように
”パリシカリス・ナオヤイ”と命名されました。
自分の名前が化石に付けられる、って 素晴らしく嬉しく♪って、名誉なことですね。
現地では、化石発掘体験が出来ます。
休日・祝日を中心に、予約を受け付けているので、
特に興味のある子どもたちは、是非ご家族と一緒に参加して、
「新発見」の化石に自分の名前を採用してもらえたら最高ですね。
こちらもまた、ロマン💛です♪
ところで、唯一無二の化石を訪ねて、
奇しくもチャリでの岬めぐりとなりましたが、
気が付けばもう10月。月末ともなれば、あの、国の天然記念物にして、
絶滅危惧種のコクガンが、そろそろ渡って来る、そんな季節となりました。
(⇑ こちら、当館で撮影・掲示しているミニポスターです)
飛来地のひとつが泊浜(とまりはま)あたりなのですが、その先が”歌津崎”。
突端まで行ってまいりました。
道は、泊浜漁港で途絶えているのかと思いきや、港の岸壁を更に進んでいくと
歌津崎への坂道が続いていたのでした。初めての訪問です。
進んで行った先には・・・、赤い鳥居。
「尾崎(おさき)神社」。この先にはお社があるはず。
チャリを降りて、
藪中の道を徒歩で進んで行くと・・・
はい、お社が。こんな奥まったところに!
さらに藪中の道を進んでいくと、
白波と美しいコントラストを成す海の遥か向こう、南方に目を移すと
遠く、金華山を望みます。
振り返れば、そこには浜菊の咲く歌津崎。
近くには、
歌津崎灯台も。
決してきれいに整備されている地ではありませんが、野趣いっぱいで、
美しい海の景色と自然に心洗われ、新しい発見があります。
道中ちょっぴりスリリングで探検めいた道を辿って至る”歌津崎”。
新たな発見に、一度 お出かけになってみてはいかがでしょう?