金山の大部分は緑地から上の部分を掘りつくし、(⇓資料画像)

緑地より下は水が多くて掘ることが出来なかった。

一方、中段より上は掘ることが出来たが、

水が無くて 作業は困難であった。

そのため、三千間(約5.4㎞)以上離れた沢から水路を引こうとしたものの、

水は流れず、金堀りたちは嘆いていた。

その時、14、5歳の童子が現れ、「私が水路をつくりましょう」と言って、

先頭に立って水路を完成させたことから、(⇑資料画像)
水を引いて 再び金堀りが出来るようになった。

老人が童子に「あなたは 誰か?」と尋ねると

童子は、「私は 童子です」と答え、放牧場へ飛び立った。

故に、この山を「童子山」と呼ぶようになった。
この童子は、"金の神の化身"だったとも言われている・・・。

これ、一体どこの昔話? かと言いますと、
実は、現 南三陸町は入谷(いりや)地区に伝わるお話なのです。
観洋からもほど近いエリアですが、みなさん、ちょっとピンときませんよねぇ。

そもそも、南三陸町内で往時、金が採れたなんて、
対外的にはあまり知られていないようですから、無理もありません。

ご覧頂いているシーンは、先月20日、
町関係者による産金跡の調査に同行した際の様子。

初めてこの日、町内の採金跡を目の当たりにしたBluebirderでございます。

土中の砂金を掘るのを「みよし掘り」(”みよし”は砂金のことらしい)といって、
掘って掘って掘りまくった山の斜面には
深い溝や窪みが随所にあって、地形が変わってしまっているのがわかります。

この日Bluebirderは、午前中だけの参加だったため、
童子山頂までは登れませんでしたが、

途上でさえ、森の向こうに見下ろす志津川湾の景色が  きれい~。

秘められた地元の歴史に触れながら、野趣溢れる自然と景観を楽しめるなんて
なかなか いいんじゃあない?そんな風に思われた視察でした。

その昔、「陸奥の黄金山」と呼ばれるほどに豊富に金が採れたのが”童子山”。

童子金山が繁栄した14世紀中頃以降には、金を求めて全国から人が集まり、
千軒の家々が軒を連ねたというのが当時の入谷村(いりやむら)。

去年、佐渡金山が世界遺産に登録されましたが、
ここ童子山の産金の歴史もどうやら佐渡に負けず古く
奈良の大仏や中尊寺金色堂を彩った経緯もあるようなのです。

だとすると、文化財的な価値は相当に高いはず。

そんな 採金の歴史を文字通り”掘り起こし”観光資源に♪ というのが
「金ばなトークセッション」。

観洋を会場に、1月24日に開かれた2回目のセッションには
モンスターゴールドが掘り出された鹿折金山(ししおりきんざん)や

昭和13年には、年間1トンを産出した大谷鉱山の関係者をゲストに、
”金ばな”、金のお話に、花を咲かせました。

320mの童子山頂には、金華山を祀る石祠があるそうな。
Bluebirderは現地調査日には撮れませんでしたから、こちらは資料画像。

今年は巳年、金華山ご縁年。今年中に訪ねて行ける日を 楽しみにいたします。

 

さて、二週間ぶりのご紹介となります、只今志津川湾で越冬中のコクガンたち。

この8日も、幸運なことに 船揚げ場のスロープに一家族♪

揃って羽繕いしたりアオサを食べたりしていて、比較的近くで捉えることが出来ました。

中に オオバンが一羽・・・、仲良しなのかな?

この日の朝方、海のビジターセンターでは320羽を確認。

早朝から、日本野鳥の会の皆さんが訪れ 熱心に観察されていたそうです。
立春寒波のもとでも、ますます元気に越冬中のコクガンたちです。

 

ところで、寒波襲来中の7日。この水辺からは もう居なくなっていました。

あな寂し・・・。

おそらくは、痛めていた翼は癒え、
伊豆沼辺りの仲間のもとへ向かったのでしょう。今度こそ。

これが水尻川で最後に見かけた はぐれオオハクチョウの姿です。今月4日のこと。

午後5時を回って薄暗い中、はじめは なぜか岸辺にうずくまっていました。

間もなく、水に入って羽繕い。 これが最後になるとは思っていなかったBluebirder、

明るい時間帯に来て姿を撮れなかったのが、いかばかりか心残りであります。

近所の方によれば、昼間は田んぼの上を飛び回っていて、
この日を境に姿を見ていないそうな。
きっと、次の日、5日には飛び立って、仲間と合流したのでしょう。

水尻川には、河口近くで見かけて2か月近い滞在でしたが、
とにかくは無事を祈りつつ、

See you ♪  またいつか会えるといいね。

ありがとう。